純粋芸術というモノにそれほどの思い入れが無い。レンブラントもダビンチも幸田露伴もピカソも、尊敬しているし、好きなのだが「愛情」を抱くほどになれない。余るほどの金銭を有しても果たしてそれらの「芸術品」を購入するか?というと疑問である。
いま、心に引っかかるものはすべからく「道具」という領域にあるもモノ達で有ることに今更ながら気がつく。「道具」とは言い換えれば「造る側」と「使う側」が別々で、ある目的にために、「造る側」と「使う側」がそれぞれの立場から考えや技術を投入し、それが実践の場で試され、結果が作り手側にフィードバックされるという一連の物語に心惹かれるのではないかと思う。
最近、大工道具や鍛冶屋の仕事に興味がある。昔から刃物特に鍛造モノに興味があった。
田舎が栃木であったので、鉈や斧、鎌や包丁などが日常的に生活の中に存在していたし、ナイフも当然のように常に携帯していた。
高校→大学と普通の東京生活を過ごす中でも、日本橋の木屋で牛刀を購入するなど刃物に対する愛着は失くさずに生きてきた。
社会人になってからも、ポケットナイフなどをぽつぽつと購入してはいたがそれほどのめりこむことは無かった。ところがある日書店で「ナイフマガジン」を手に取った。その中の記事に「千代鶴是秀」という明治から昭和初期の大工道具の名工の話に魅了されてしまった。
大工道具というごく限定された世界の中で、切る・削る・叩くというシンプルな機能を究極まで突き詰めそれを「美しさ」という領域にまで進化させてしまった職人。
一般の職人では到底手が届かないほど高額でありながら、品質にこだわるために必然的に佳作であり、結果清貧に甘んじた生涯。
刃物という道具の宿命として、使われれば使われるほど研ぎ減りし、最後は消滅してしまう。その儚さも「道具好き」の理由かもしれない。消滅してしまうまでの作り手と使い手の間にある物語。その物語に強く惹かれる。
特に鍛造刃物にはその原材料である鉄の種類から組み合わせ、熱処理、形状まで、さまざまな叡智が長い年月の中で受け継がれてきた。鍛冶屋が日本から消えていこうとしている今、それらの叡智は鍛冶屋という職業と一緒に歴史のかなたに消えていくのだろう。後継者が生活を維持できない現在の日本の社会環境の中では、致し方ない事だろう。
私にできるのは、そんな物語を一つでも知っておくことだと思っている。そしてできれば子供達に伝えることができれば幸せだ。
勿論、そんな流れに逆らって技術を残そうと頑張っておられる製作者の方々もいる。そんな方たちを少しでも応援しようと、僕はまた嫁に隠れながら打ち刃物を購入するのである。
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