Nikon F‐4である。そしてGITZOの三脚である。ほぼ10年ほど前まで全国の美しい川や海を一緒に旅した機材である。
当然フィルムカメラである。Nikonのフィルムカメラの最高峰はF-6で最後となったと記憶している。そして望遠レンズ300mmF2.8。所謂ニッパチサンビャクである。
このセットで、あるクライアントの仕事を通してほぼ5年間毎年川や海に釣り人を撮影していた。
河原にテントを張ってベースキャンプを作り、昼間は撮影、夜はたき火を囲んで宴会という夢のような日々を送っていた。
今、カメラはデジタルになった。このF-4も機能的には全く問題ないが、フィルムとそれを現像するというシステムそのものがもう無くなってしまったに等しい。
美しいフィルムならではのトーンもPhotoshopで簡単に加工再現できるようになった。それはそれで正しい進化なのだろうけれど、何か不安というか寂しさというか複雑な感情がある。
単一のシステムだけに完全に依存するのはそのシステムが損傷を受けた場合に全てがストップしてしまう危険性をはらんでいる。現在の広告写真、デザイン、印刷、DTPは完全(に近く)にデジタルに移行してしまった。
ということは、もし大規模停電が起こった場合、我々の仕事はすべてストップしてしまうことになる。
それでいい!という達観した考え方もあるだろうが、果たしてそうなのだろうか。
最近鞄が重すぎると思うようになった。何でもかんでも持ち歩いているわけではないが、携帯電話3台、wi‐fiルータ、ⅰ‐pad、コンパクトデジカメ、ワイヤレスキーボード、そして紙のノート。
一度、すべてを捨てて最もシンプルな形にしてみようかと考えている。アナログに立ち戻ってみようかと・・・。
この写真は、もう34年前、大学時代に親父に嘆願書を提出して買ってもらったNikon-FE。モータードライブ付だ。シャッター幕が跳ねてしまい撮影はできなくなってしまった。Nikonでも部品が無く、修理は受けられないと言われたのが10年前だったと思う。
それでも、あの生意気だったころの情熱の名残としていつまでもそばに置いておきたい機械である。そう、電子機器ではなく「機械」なのだ。メカニカルなのである。
土曜日の昼 。掃除をしていて出てきたカメラたちにそんなことを考えた。
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