あの日、3月11日 15:45 丁度この写真を撮っていた。
築地の朝日新聞に向かう高速の上、河津桜が咲いていたので、ちょっと撮っておこうと思ったのだ。
構図を決めて、シャッターを押そうと思うのだが、桜が揺れて中々ピントが来ない。
「風が強いな」と思っていたら、足元の縁石が揺れている。「高速の上は流石に揺れるな」などと思っているとドンドン揺れは大きくなる。
周りを見渡すと、正面のビルが見たことも無いくらいに揺れていた。近くのビル建設現場からは鉄骨の落下する音がする。
J-POWERの通信塔が大きく揺れている。
歩いていた年配の婦人は道路にへたり込んでしまった。戸外で地震を経験するのは初めてだった。
一緒にいた友人二人が家族と連絡が取れえるのを待って、打ち合わせに行った。
朝日新聞本社ビルの隣のビル。 7階まで階段で上がる。エレベーターが停止中だからだ。
「凄かったですね~」と話し始めたときに、2回目の余震が来た。ビルの外へ退避。
もう打ち合わせどころではない。「来週仕切りなおしましょう」 「今日は早めに帰宅しましょうね」
とクライアントと別れた。
同じ時間に、東北では何万という方々が津波に襲われていたのだろう。
結局 その日は会社にいるしか無かったが、被災された方々に今何も出来ない自分がもどかしい。
停電OK。 資材不足了解。ただただ彼の地の被災者の皆さんの復興を願う。
0 件のコメント:
コメントを投稿