2007年4月18日水曜日

銃は人を撃たない。

USAのバージニア大学でまた乱射事件があった。韓国系の移民男性23歳が、学生寮と教室で拳銃を乱射し、32名の死者が出たそうだ。(自殺した犯人含む)
こういう事件がおきると、必ずアメリカの銃規制問題が取りざたされる。しかし、ここで問題だが、「銃は人を打たない」という事実が認識されていないというコトだ。銃は弾丸を発射する道具であり、銃口を人に向けるのはいつも人なのである。

銃規制論者の言い分では「そこに銃があるから、犯罪がある」ということになる。置き換えれば「そこに刃物があるから、殺傷事件がある」という論法になる。で、刃物は危ないから、子供の周りから遠ざけて、触らない、使わない生活をしようということになる。

道具は道具として認識し、正しい使い方を教えて安全に活用するようなスキルと精神を形成するのが教育ではないだろうか。

かの国は移民の国である。穏やかに暮らしていたネイティブアメリカンの方々の土地を「フロンティア」などとぬかして、簒奪して建国された国である。戦いの中で自らの財産を掴み取るというDNAが形成されている国民に、自らを守る権利を放棄させるということは、アメリカ5軍が自衛隊になるのと同じくらい現実味の無い議論だ。

ましてやこれはあの国の問題であり、日本からやいのやいの言うのは「よけなお世話」に違いない。

日本ではいかなる平和主義者、人道主義者の家庭にも立派な包丁があるではないか。タクティカルナイフとしても抜群の切れ込み力を持つ出刃包丁を苦も無く使いこなしているではないか。危険だから学校の工作でカッターナイフは使うな!というお母さんは毎日の食事に包丁を使わないのか?

我が家では、料理と刃物を作り出す技術に大きな尊敬を持つよう教育している。家にある包丁はすべて研ぎ上げてよく切れる。趣味のナイフは12本を数え、私の部屋に無造作に転がっている。子供たちは使おうと思えばいつでも持ち出せる状況である。

しかしながら、そんな気配は無い。なぜなら刃物で切られたり、疲れたりする恐怖をシミュレートしているからだろう。特に下の息子は平和主義者だ。「争いは武力では解決しないよ!お父さん」立派な言葉ではないか!どこかの国の大統領に聞かせたい。これこそ半面教育の面目躍如たるモノであろう。

それを支えにして、親父はこれからもシコシコとナイフを集め、包丁をとぎ、鉄と鍛冶屋の研究を進めていくのである。

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